ココロと乳がん

乳がんです。再発してます。乳がんと心について、どういうことが、良い影響があるのか?どうやって、くじけそうになるココロを支えて、うまく共存できるのか?死生観も含めて綴っていきます。

いやになるときもある

このブログでは、いい格好してもしょうがないと思ってます。


抗がん剤、今の薬になって1コースですが、

今までと違い、身体に堪えます。

今までは、飲む薬だったり、点滴でも割と楽だった。


今回からはQOL落ちるなぁ〜

とにかく消化器症状がつらいし、手足の痺れは来るし

何となく自律神経の失調で怠いし

骨髄抑制あるのか?(白血球は、投与時は基準内だったが)

膀胱炎なりかけのつらさ、

喉は腫れる…風邪気味症状

こんなだから、外出も控える…先生も外出禁止ではないと言われたけど。


なんか、シャキッとしない〜


元々自律神経失調症で、暑さ寒さ湿気に弱く

梅雨時、真夏、熱中症やら、ならないように、ビビりつつ過ごす。


こういう、ビビりつつ過ごす毎日に嫌気がさして

時々爆発する。


ビビりネタなんて数え上げたらキリがない。

出かけてて、倒れたらどうしよう、

寝ていて気分悪くなったらどうしよう、

体調不調のため人に迷惑かけたらどうしよう、

ずっとこんな落ち込んでたらどうしよう、

副作用がつらいどうしよう、

副作用で抗がん剤治療できなくなったら=死 どうしよう、

(↑本人の偏った短絡思考です、念のため

お金やら公的な手続き終わらなかったらどうしよう、

ダンナに迷惑かけてばかりで生きる意味あんのか どうしよう、

生きる目的、目標、生きがいないぞ! どうしよう、



ほんと、昨年仕事失って、

もう1年3ヶ月なるけど

そこから9ヶ月で病状が悪くなり、

坂を転げ落ちるように

心身共に状態が落ちてるゾ。

だから、すごい危機感がある。

無駄に、不本意に、病気とシンクロした状況の変化に

絡めとられてる感じなのだ。

弱気になってしまいたい、しまおうか?という日もある

でも、そうではない、ちょっと気持ちの持ち方、向け方を変えたら

何とか復活の気配も感じるのだ。

ホント、試されてる気がする。

諦めるのは簡単だ。

だが、諦めと達観は違う気がする。

すがるわけじゃない、ほんらいの自分の使命をまっとうするのだ。


ここまでだって、もう足掛け10年。

よくぞここまで。

だから、半分終えている、このわたしの人生。

残りを、余生を

どうにか充実させるのだ。

よき先輩がいるじゃないか。

いま、ふと思い出した。


毒吐きもだいじ。

大きな存在

じぶんの心が曇ってる。

きっとそうなんだ。

…相手の心が信じられない時。

じぶんの弱いココロ。

ちょっとしたことで傷つきやすく。


不動のココロを持ちたい。

平常心を。


じぶんが頑張るとか

じぶんのもろさとか

そんなものひろい宇宙からしたら、

ちっぽけなもの


頑張らなくてもちゃんと

守ってくださる大きな存在がある。


しがみつかない。

委ねる。

なるようになる。


そういうことは、ちゃんと

太古の昔から

仏道の世界で

考え尽くされていて

ちゃんと答えが用意されてるんだ。

それだけでココロが ほっとする。

親鸞聖人の言葉 (1) 仏恩ふかくおもひつつ つねに弥陀を念ずべし

弘誓のちからをかぶらずは いづれのときにか娑婆をいでん

仏恩ふかくおもひつつ つねに弥陀を念ずべし

(『註釈版聖典』五九三頁)



「弘誓」とは、阿弥陀さまがすべての者一人ひとりに対して、万徳を込めて「われにまかせよ、必ず救う」と願われる広大なる誓願を言います。この願いを受け入れた者は皆、必ず迎える死を機縁として、この娑婆を出で光り輝く浄土へ生まれていくというのです。

そして、「仏恩ふかくおもひつつ」とあります。この「恩」という字は、「因」と「心」からなっていますね。「因」は、ふとんに眠る赤ちゃんを表していると言われます。すやすやと安心して眠るというのは多くの条件や支えがあって、初めてあり得ます。そのことに「心」を向けた時生じる心情を、「恩」と言うのでしょう。

思い返せば、昔は「念仏なんて……」と思っていた方も、いつの間にか、お念仏するようになっていかれます。私自身、不思議なほどに変わった一人ですが、はっきりしていることは、それは自分で勝手に変わったのではなく、そうなるように育ててくださった方がおられたということです。そう言いますと、皆さんは周りにおられた懐かしい方々が次々と脳裏に浮かんでくるでしょう。親鸞聖人は、そうしたさまざまなご縁を通して、その大本で、いつも私にはたらきかけ、お念仏するようにいざなっておられたのは阿弥陀さまですよ、と教えてくださいました。こうした阿弥陀さまのご苦労は、知らなければ無いのと一緒です。だから親鸞聖人はそのおはたらきを「ヤワラゲホメ」て和讃にし、私たちにお示しくださったのです。そう知らされた者は「つねに弥陀を念ずべし」とあるように、恩を感じながらお念仏を申す日々に生きていきます。


井上 見淳(いのうえ けんじゅん)

龍谷大学准教授

(真宗教団連合 HPより引用)




日々を病と共存しながら暮らしていると、時に不安に苛まれたり、心もとない気持ちになったりします。

人それぞれ乗り越え方はあると思います。

私の場合は、元々宗教・宗教的なものに思いがありました。

幼い頃は神社が好きで巫女さんになりたいと思ったこともあります。

巫女にはなりませんでしたが今も神社仏閣は好きでよくお詣りします。


今回の親鸞聖人の言葉は、転移のことで眠れない夜に読んで安らぎを得たものです。

弘誓 「必ず救う」という広いお気持ちに感動したものです。


これからも、自身の趣味にはなりますが、

宗教、宗教的考え方、マインドフルネス、ヒーリング、瞑想、等々についても書いていければと思います。