親鸞聖人の言葉 (1) 仏恩ふかくおもひつつ つねに弥陀を念ずべし
弘誓のちからをかぶらずは いづれのときにか娑婆をいでん
仏恩ふかくおもひつつ つねに弥陀を念ずべし
(『註釈版聖典』五九三頁)
「弘誓」とは、阿弥陀さまがすべての者一人ひとりに対して、万徳を込めて「われにまかせよ、必ず救う」と願われる広大なる誓願を言います。この願いを受け入れた者は皆、必ず迎える死を機縁として、この娑婆を出で光り輝く浄土へ生まれていくというのです。
そして、「仏恩ふかくおもひつつ」とあります。この「恩」という字は、「因」と「心」からなっていますね。「因」は、ふとんに眠る赤ちゃんを表していると言われます。すやすやと安心して眠るというのは多くの条件や支えがあって、初めてあり得ます。そのことに「心」を向けた時生じる心情を、「恩」と言うのでしょう。
思い返せば、昔は「念仏なんて……」と思っていた方も、いつの間にか、お念仏するようになっていかれます。私自身、不思議なほどに変わった一人ですが、はっきりしていることは、それは自分で勝手に変わったのではなく、そうなるように育ててくださった方がおられたということです。そう言いますと、皆さんは周りにおられた懐かしい方々が次々と脳裏に浮かんでくるでしょう。親鸞聖人は、そうしたさまざまなご縁を通して、その大本で、いつも私にはたらきかけ、お念仏するようにいざなっておられたのは阿弥陀さまですよ、と教えてくださいました。こうした阿弥陀さまのご苦労は、知らなければ無いのと一緒です。だから親鸞聖人はそのおはたらきを「ヤワラゲホメ」て和讃にし、私たちにお示しくださったのです。そう知らされた者は「つねに弥陀を念ずべし」とあるように、恩を感じながらお念仏を申す日々に生きていきます。
井上 見淳(いのうえ けんじゅん)
龍谷大学准教授
(真宗教団連合 HPより引用)
日々を病と共存しながら暮らしていると、時に不安に苛まれたり、心もとない気持ちになったりします。
人それぞれ乗り越え方はあると思います。
私の場合は、元々宗教・宗教的なものに思いがありました。
幼い頃は神社が好きで巫女さんになりたいと思ったこともあります。
巫女にはなりませんでしたが今も神社仏閣は好きでよくお詣りします。
今回の親鸞聖人の言葉は、転移のことで眠れない夜に読んで安らぎを得たものです。
弘誓 「必ず救う」という広いお気持ちに感動したものです。
これからも、自身の趣味にはなりますが、
宗教、宗教的考え方、マインドフルネス、ヒーリング、瞑想、等々についても書いていければと思います。
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