ココロと乳がん

乳がんです。再発してます。乳がんと心について、どういうことが、良い影響があるのか?どうやって、くじけそうになるココロを支えて、うまく共存できるのか?死生観も含めて綴っていきます。

SNSで攻撃して来る問題児さん

とあるSNSで、そういう方がいます。

最初は、気づかなかった。

訳のわからない質問を投げかけて来たから、

ありのまま答えたりしていた。


そしたら、再度、訳のわからない投げかけをして来た。

そんなことまで気にする〜?ってようなこと。

でもそこの中では仲良くしたいと思って、

弁明をした。

それに対して、向こうは返事がなかった。


正直、疲れるなぁ、手がかかるなぁ、訳わからない、って感じで。

それで、もしかしたら、この方はこういう手法で

攻撃をしてるのかも。って思った。

マトモに相手するだけ時間が無駄。

SNSも、私はほどほどにしてる。

他にやることあるし、みんなみたいにどっぷり対応できない。

みんなえらい。何回も返事してる。

タイミングも早い。


私は自分の生活メインだし、そんな早くに応答できない。

だけど、私の厄介なのは、

夜中なんかに、ぽっかり寂しくなってしまうこと。

そんな時に逃げ込みたくなる。


待てよ。

それも、最近気づいた。

自分が寂しくなるシチュエーションがわかってる。

そこを避ければ良いんだ。

入院してると体調が良くなるのは?

早寝早起き。テレビやネットをし過ぎない(できない)消灯時間が決まってる、

おひさまのリズムで生活してる。


日が沈むと誰だって物悲しいもんね。

明るいより暗闇の方が怖いと、古今東西決まってる。

それなのに私は、そこに居座ってたから。


早寝早起きして、時間を有効活用。


だから、攻撃さんにも対応しません。


楽しくやろうよ。

素直にやろう。

羽根を伸ばす

旦那が風邪をひいてしまい、実家暮らし。

抗がん剤治療の私に、万一うつすわけにいかない、と。


最初は、羽根を伸ばせて気楽で楽しかった。

でも何日もなると、孤独にもなってくる。


それに、離れてみて、彼に如何に心配をかけてるか思い知った。

なんか彼が辛そうで。身体もだけど、

きっとココロも。


そんなこの頃、

彼がいないチャンスとばかり、

治療の時、主治医先生に、余命について聞いてきた。

今までずっと逃げて来ましたから。

先生は、あくまで全ての乳がん患者さんの

再発してからを、ひっくるめて、これくらい(=2年

という話を、しっかりと、どこからカウントするかの定義まで含め

話してくれた。

先生らしいなぁ。

で、私は既にそれを越えている。

そのあと、話したことは頭真っ白で覚えてない。

ハッキリした数字は言ってなかったと思う。

雑談みたいな感じ。

そうそう、緩和の面談勧められたことも

最初は、ハァ?えー?って感じだったけど、

行ってよかったんだと思う、ありがとうございます。

というのも伝えた。


一軒めは、先月かな、旦那や身内と行って、

どっぷり疲れた。


二軒めは先日、旦那と。

これは時間がかかったのは疲れたけど、

2回めで免疫ついたのか、気持ちは全然疲れなかった。

自分が、イヤダイヤダと逃げている方が

かえって精神的に苦しいのかもしれない。


でも正直ここまでくるのに、自身の中での暗躍、奮闘はあった。

意識してやってたんじゃないけど。

面談でも話したけど、

先日、ものすごい孤独感で、感極まりおかしくなりそうになって

ぐわぁーーーと泣いたことがあった。

それも突然に。


あれには焦ったけれど。

そのことすら、話せたのだから確実に一歩前進してると思えた。


きっと、こうして、タブーとされることも

もがきながら、(大してもがいてもないか)進んでいけば、

意外と軽やかにスルーしてゆけるのかもね。


うふふ、緩和の面談では大げさに、私は弱いんだーモード全開です 笑

心配かけたならごめんなさい。


この頃、自分をありのままに見つめようとしてるからなのか

今まで、つらいと思い込んでたことが

実は辛くなかったのかも? って気づきました。

自分で自分を追い込んじゃいけませんね。

言霊ってのもあるような気がします。


来るものは拒まず去る者は追わず。ん!?なんか違う?


ちゃんちゃん。

ちょっとダークなことも

昔から、死ぬのが怖くて、とにかくなんでも怖がりで、

特に幼い頃、踏切渡るのがものすごく怖くて、いつもドキドキしていた。

タクシーも匂いが苦手だった。乗り物酔いの子だった。

どっちかていうと、虚弱気味の子だった。

見た目は、細くもなく虚弱児っぽい風体ではなかった。


それで、オランダの安楽死を知って、

それに憧れてた時期があった。

この病気になった最初の頃、安楽死調べてるうち、

ある本に出会った。

オランダの話?女性が安楽死を選択し履行されるまでの実話だったと記憶している。

それを読んだら、とてもやるせない気持ちになった。

わたしが勝手に想像していた、安楽な世界じゃなかった。

それはそれで、途方もない哀しみがあった。


いま、緩和のことを考えるに、

トータルペインという考え方がある。

身体的、社会的、精神的、だったかな。


身体的痛み、これは春にリンパからの手の痛みがひどかった時に

初めて実感。痛みは心身つらいもの。

まず対応して、うまく和らげなければいけない。


そして、社会的痛みは、わたしなら仕事が打ち切りになった、

その後治療の副作用で復帰できない、置いてけぼり感で孤独。

このまま、働かないままは嫌だ。

社会が働く場をくれないから働けない。

そりゃ、どこの会社が、副作用で休みがちな人間を雇いますか。

スタッフとの協調面、何をどう対応したら良いのか。

雇いたくないのが本音だろう。


ただ、今まで病気隠して働いてきた。何年も。

だから、特別な配慮なんて必要なかった。

配慮してもらえたなら、もっとよかったと思うけど。


だから、個人差あるけど、

基本、本人が働ける、って立候補してきた場合は、

大抵大丈夫と思われるので、

雇ってあげてください。(誰に!?


わたしも、また仕事に復帰しますが、

今は治療があるし、治療内容の変更もあるだろうから、

落ち着くまでは、立候補しません。

できるようになれば、できる範囲でやります。


でも、そうも言ってられないのも事実。

だから自分で何かやろうかな、って密かに考えてる。

やっぱり、いざ自分で。となると、厳しいです。

自分の仕事への取り組み方、意識が問われる。

こんな軟派な精神 苦笑 では、厳しいです。


やはり、意識が働くことから遠ざかってる。

患者業にどっぷり浸かってます。

実際、なんとなーくだるいし。

しかし、時々、手続きなどで話し合いや書類作成なんかに

外出すると、良い刺激になって、

意外とやれる。

ただ、それは客として行ってるので、

立場が気楽。

仕事は、また違うことはわかります。


なんか作業的なものでやれることないかな。

作業所運営。

カフェ。

ボランティア歓迎。

売上げは、明朗開示で儲けはシェアします。

て言うか事情さえ許せば、まずボランティアの経費(交通費、弁当代程度)

お支払いして、そのあとの分から運営費を…これ理想。

人を雇うとかボランティアさん募集も

なかなか難しそうだから、まぁ基本ひとりなんでしょうが。

チームで、クルーでワイワイやっていけたらなぁって。

多様な人たちが集うと、視野が広がる。

わたしみたいな、小心者じゃなく、おおらかで楽しい方

いっぱいいますもん。

ただ、そう言う素敵な方々(同病の方)に話し伺うと、

なかなか仕事って、ならない様です。

ボランティア活動的なことも、打診あっても辞退される方が多いです。

色々しがらみもあるでしょうし、

社会的にどういうスタンス取るかは、

個人個人のモノサシ、意思がありますね。


はぁ。私は、わたしなりのやり方で対応してきました。

今年になって、転移も新たになって

大人しく、自分の世界に。

それに、母のいなくなった世界で、

喪に服しています。

服喪期間がどうこう、でなく、

自然と、そうなります。

自分の人生もあるから、やりたいこともやってますが、

なんとなく、バリバリとやる気にならないのは、

思ったより、母のいない世界に慣れてないのかもです。


さてとひと休み。

今日もやることいろいろあります。


みんなみんな、元気になあれ。